なぜ「.tk」というドメインを選んだのか
このブログのドメインは「.tk」です。
最初から、何か強い思想やメッセージを込めて選んだわけではありません。個人で発信を始めるにあたり、まずは無理なく続けられる形を取りたい。その延長線上で、無料ドメインを探していました。
そのときに目に入ったのが、いくつかの見慣れないトップレベルドメインです。
.tk、.ml、.ga、.cf、.gq
正直なところ、最初は深く考えていませんでした。「どこかの発展途上国の国コードなのだろう」程度の認識です。ただ、仕事柄なのか、少し調べてみたくなりました。
すると、このうち4つはアフリカ大陸の国で、ひとつだけがニュージーランド領であることが分かりました。地理的には決して近くないのに、同じような形で無料ドメインとして提供されている。その事実に、ちょっとした違和感を覚えました。
なぜ同じ枠組みなのだろう。誰が、どんな意図で、この仕組みを作っているのだろう。そんな疑問が、自然と湧いてきました。
トケラウという場所に目が留まった理由
「.tk」はトケラウを表しています。
名前を聞いても、具体的な場所や風景はすぐには浮かびませんでした。そこでGoogleマップを開き、位置を確認してみました。画面に表示されたのは、細長く連なる小さな環礁でした。
島の形、海の色、周囲に広がる何もなさ。写真を何枚か眺めているうちに、理由ははっきりしないのですが、心が少し静かになる感覚がありました。
観光地として整備されているわけでもなく、アクセスが良いわけでもありません。むしろ、簡単には行けない場所です。それでも、「ここはいいな」と感じてしまいました。
私は仕事においても、効率や合理性だけで判断することが苦手です。数値化できない違和感や、言葉にしづらい引っかかりを、どうしても無視できない癖があります。トケラウに惹かれた感覚は、その延長線上にあったように思います。
行けないという現実を含めて考える
トケラウには、いずれ訪れてみたいと考えています。ただ、調べてみると、片道で2〜3週間かかり、滞在にもさまざまな制限があるようです。思い立ったからすぐ行ける、という場所ではありません。
だからこそ、計画が必要になります。時間、体力、仕事との兼ね合い。簡単に消費できないからこそ、向き合い方も雑にはできません。
私は、そういう「簡単ではない」という条件を、どこか大切にしているのかもしれません。
トンガ沖海底火山噴火から考えたこと
トケラウについて調べていく中で、2022年に起きたトンガ沖の海底火山噴火のことも改めて意識するようになりました。この噴火は、津波や通信障害を引き起こし、広範囲に影響を及ぼしました。
島嶼国が、自然災害や地理的条件によって、どれほど脆い立場に置かれているのか。その現実が、はっきりと可視化された出来事だったと思います。
トケラウもまた、海面上昇や気候変動、通信インフラの制約といった課題を抱える地域です。地図上では小さな点にしか見えませんが、そこには人の生活があり、文化があり、日常があります。
効率やコストだけで世界を見ると、こうした場所は簡単に「周縁」に追いやられます。しかし、本当にそれでよいのか。私は、そこに疑問を感じます。
仕事の現場でも、似た構図を何度も見てきました。効率化や合理化の名のもとに切り捨てられた小さな違和感が、後になって大きなトラブルとして噴き出す。火山噴火ほど劇的ではありませんが、構造としてはよく似ています。
目に見えない部分、声が小さい部分をどう扱うか。その姿勢が、結果を大きく左右することを、私は何度も経験してきました。
突然止められたドメインと向き合い方
しばらく「.tk」を無料で使っていましたが、管理サイトの安定性も徐々に改善されているように感じていました。そろそろ課金してもよいかもしれない。そんなことを考え始めた矢先、突然ドメインの利用が停止されました。
理由が分からず、正直なところ戸惑いました。問い合わせをしたところ、どうやら先方の手違いだったようで、その結果、復活後10年間は無料で使わせてもらえることになりました。
ありがたい話です。ただ、それと同時に、「このドメインをどう扱うのか」を改めて考えるきっかけにもなりました。
無料だから軽く使うのではなく、その分、きちんと使いたい。この場所で考えたことを残し、発信し、少しずつでも広げていきたい。そう思うようになりました。
やりすぎ向上長という判断の癖
振り返ってみると、「.tk」というドメインを選び、使い続けている経緯そのものが、私の判断の癖をよく表している気がします。
- 効率だけでは決めきれない
- 小さな違和感を放置しない
- 背景や文脈を知ろうとする
- 偶然の出来事にも意味を考えてしまう
合理的ではない選択に見えるかもしれません。それでも、自分が納得できるかどうかを大切にしてきました。その姿勢が、結果として「やりすぎ向上長」と呼ばれるようになった理由なのだと思います。
あなたなら、こうした判断をどう受け取るでしょうか。無駄だと切り捨てるか、それとも何か引っかかるものを感じるでしょうか。
このブログは、そんな問いを抱えたまま続けていく場所です。