ブログと出版に込めた想い

前回の投稿から、少し時間が空きました。

仕事で複数の案件のPMOを担当しているところに、二週間後に迫った転居の準備もあり、さらには半年後に職業を変える前提での動きも進めています。(確定申告も重なってますw)

現場に深く入り込む仕事を続けてきた人間にとって、「離れる準備」は想像以上に思考と体力を消耗させます。

そんな状況ですが、何か書きたい、何か発信したい、そんな思いに素直に従って投稿することにしました。。

なぜ今なのか。
なぜブログなのか。
なぜ電子書籍という形まで持っていこうとしているのか。

今回は、少し違う角度から整理してみたいと思います。

経験は、放っておくと消えていく

私は長年、炎上したプロジェクトの立て直しをしてきました。

要件定義で遅れ、設計でさらに遅れ、終盤で人を大量投入し、品質を落とし、また遅れる。
その連鎖の中に何度も立ってきました。

そこでの判断は、常に時間との戦いです。完璧な情報はありません。不完全な材料の中で、決めなければなりません。

しかし、そうした判断の積み重ねは、案件が終わると急速に忘れられていきます。自分の中でも、他人の中でもです。

私はそれが少し怖いし、非常にもったいないと感じました。

正解のない状況で考え抜いた痕跡が、成果物の裏に埋もれてしまう。
成功しても失敗しても、プロセスは語られにくい。

ブログを書くという行為は、過去の経験を改めて整理し、風化させないための装置なのだと思っています。

整理されきっていない思考も、揺れた判断も、迷いも含めて、言葉にしておく。
そうすることで、自分の中の思考の履歴が残ります。

なぜ「今」なのか

半年後に職業を変えることを考えています。

現場の最前線から、少し立ち位置を変えるつもりです。
(一気に変えたいと考えていますが、恐らく徐々に移行する形になります)

このタイミングで強く感じたのは、「自分の中にあるものを、いったん棚卸ししておきたい」という衝動です。

現場にいるときは、次のトラブル、次の判断に追われます。振り返る余白はほとんどありません。

しかし、いずれ現場から離れるなら、その前に何を大切にしてきたのかを言語化しておきたいと思いました。

それは肩書きの整理ではなく、自分の判断の癖の確認です。

私は合理的でありたいと思っています。
しかし同時に、感情を無視した合理性には強い違和感があります。

その葛藤が、私を「やりすぎ向上長」にしたのだと思います。

出版は固定化ではなく、区切り

ブログは流れていきます。時系列に積み上がり、更新され、上書きされていきます。

それに対して出版は、ある時点での思考を固定します。

私はそれを「確定」だとは考えていません。むしろ、暫定的なまとめです。

今の自分はこう考えている、という線引きをする行為です。

人は変わります。私も変わります。数年後に読み返して、「甘い」と思うかもしれませんし、「未熟だ」と感じるかもしれません。

それでもあえて形にするのは、自分の思考を外に出す覚悟を持ちたいからです。

出版は権威の獲得ではありません。むしろ、自分の未完成さを引き受ける行為に近いと感じています。

答えを出すためではない

私は正解を提示したいわけではありません。

現場で学んだのは、「正解」は後からしか分からないという事実です。

あのときの判断が良かったのかどうかは、数年経ってからしか評価できないこともあります。

だからこそ、私が書くのは「答え」ではなく「問いの形」です。

効率を優先することは本当に悪いのか。
誠実さはどこまで守るべきなのか。
組織の論理と個人の納得は両立できるのか。

私はこう考えている、という途中経過を提示する。
それを読んだ方が、自分の問いを深めてくださるなら、それで十分です。

思想ではなく、記録として

私は思想家になりたいわけではありません。

あくまで、実務を引き受けてきた人間としての記録を残したいのです。

成功も失敗も、強く言い過ぎたことも、引き過ぎたことも含めてです。

ブログと出版は、何かを証明するためのものではありません。

私が何を大切にしてきたのかを、自分に対しても、そして誰かに対しても、曖昧にしないための行為です。

もし、仕事や人生において割り切れなさを感じている方がいるなら、私の文章はきっとすっきりする答えは出さないでしょう。

ただ、「迷いながら考えている人間がここにもいる」という事実は伝えられるかもしれません。

それで十分だと、今の私は考えています。